◇ヤクルトレビンズ戸田戦マッチレポート

清水建設江東ブルーシャークスは11月15日、清水建設荏田グラウンド(神奈川県横浜市)でヤクルトレビンズ戸田とオープン戦を行い、51-7で快勝した。後半20分、長期離脱から復帰した長谷銀次朗が途中出場。2023年12月9日のディビジョン3開幕戦、日野レッドドルフィンズ戦(夢の島競技場)以来、707日ぶりの実戦復帰を果たした。待ち望まれた「ハードタックラー」の復活が、ブルーシャークスのチーム力を更に押し上げた。

背後から潮田チームディレクターの声が聞こえた。「交代まで、あと3分です」。ピッチサイドで出番を待っていた長谷の表情が、より一層の闘志をまとった。足元のタッチラインが、沈みかけの陽光を照り返して白く輝いている。この白線の向こう側に、2年近くも焦がれ続けてきた。踏み出せばすぐそこにある場所なのに、長谷にとって、その距離は果てのないものに思えた。それでも「ラグビーが好きな気持ちは、どうやっても消えなかった」。何度も折れかけた心を救ってくれたのは、揺るぎのない思いだった。少し俯いてタッチラインを跨ぐ。共にフィールドに入った日髙がそっと背中を押してくれた。緊張は感じなかった。不安よりも、嬉しさで鼓動は自然と高鳴った。「今日は自分の日だ」。顔を上げると、秋晴れの美しい空と仲間たちの笑顔が待っていた。

見せ場はすぐに訪れた。29-7で迎えた22メートルライン後方のスクラム。オープンフランカーの位置に入った長谷は、組み合った瞬間に全身の力で押しまくった。スクラムが前に出る。そのままペナルティを獲得し、これが起点となって佐藤のトライに繋がった。直後には、フィールド中央で身長185センチの相手CTBミカエリトゥに強烈なタックルを叩き込んだ。「いける」。ファーストタックルによるボルテージの高まりと共に、プレーのギアが一気に上がった。その後も体を張ったプレーを連発し、チームの快勝に大きく貢献した。「相変わらず良いプレーをしてくれていました。一番調子が良かった頃から比べたらまだまだだと思いますけど、確かな一歩は踏めたはずなので、非常に良かったです。彼が出てきてフランカー戦線に入ってくると、チームとしての厚みが一つも二つも増していくと思います」と仁木監督は試合後に目を細めた。

アスリートにとっては永遠とも思える苦しい2年間。そこに「長谷銀次朗」という人間の芯が刻まれていた。2023年12月の日野レッドドルフィンズとのディビジョン3開幕戦。頭痛があることは試合前から自覚していたが、強行して出場を選んだ。試合後も症状は消えず、原因もわからなかった。当時新加入した石黒ヘッドメディカルトレーナーに、その状況を相談し、紹介してもらった病院でようやく病名が判明した。脳脊髄液漏出症。強い衝撃などがきっかけで脳脊髄液が漏れ、立っているだけで強い頭痛やめまいに襲われることもある。この2年間で、長谷は2度の入院を経験した。症状の波は大きく、思うように動けない日が何度もあった。そこから、長い別メニューの日々が始まった。
「あの時に無理をしなければ」。そう思ってしまう瞬間もあった。それでも、長谷はラグビーから離れなかった。いつ復帰できるのか。そもそもグラウンドに戻れるのか。そんな状況でもミーティングには必ずノートを持って参加して、黙々とメモを取った。決して自分が映ることのない試合映像を見返し、同じポジションの仲間と改善点を話し合った。「頭痛は他の人から見ても症状がわからない。調子が悪い時にそれを話したら、チームとしても、個人としても士気が下がってしまう」。そう考えて、日によって体調に波があっても常に明るく振る舞った。プレーで貢献できない分、チームや自分のSNSで積極的に発信を続けた。出来ることは限られていたかもしれない。けれど長谷は、一度も「チームの外側」に立とうとしなかった。その一つ一つの行動は、一貫してラグビーと仲間たちに対する愛情に溢れていた。

転機は今年6月に訪れた。気が付けば、出場機会がほとんどないまま2シーズンを過ごしていた。「もう、復帰は厳しいかもしれない」。その思いが、胸のどこか静かに居座り始めていた。そんな折、仁木監督、吉廣ヘッドコーチと話す機会が訪れた。長谷は、自分なりに線を引くつもりだった。「年内までに復帰できなければ選手とは別の形でチームに携わらせて欲しい」。ラグビーが好きという気持ちはずっとあった。けれど、身体が言うことをきかない現実が、その思いを追い越し始めていた。だが仁木監督は、迷わずこう返した。「ダメだ。何年かかってもいいから、選手として戻ってこい」。その言葉は、慰めではなく「信頼」そのものだった。グラウンドで力になれない日々が続いていた長谷にとって、その言葉は胸の重さをふっと軽くしてくれるものだった。「終わり」になりかけていた思いが、その一言で静かに形を変えた。
そこから、長谷の歩みは少しずつ変わっていった。これまで見えなかったものが、ようやく掴めるようになっていった。症状には波があった。動ける日もあれば、思うように身体が反応しない日もあった。その中でも「今日は大丈夫」という自分の調子を見極める感覚が少しずつ分かってきた。経験した時間は無駄にはならなかった。プレ―できなかった間、彼はこれまで以上に多くの仲間と対話するようになった。「それまでは自分のプレーにただただこだわっていたんですけど、この経験を通して国籍問わず、多くのチームメイトとコミュニケーションを取るように心掛けました」。新たな視点を得た上で、仲間の動きや判断をずっと観察してきた。ミーティングでノートを埋め、試合映像を何度も見返し、自分ならどう動くかを考え続けてきた。その積み重ねが、身体の回復に合わせて一本の線になり始めた。

「ラグビーができない選手の気持ちにも、寄り添えるようになりました」。長谷は言葉を選ぶように続けた。今日の相手・ヤクルトレビンズ戸田にも、同じ症状に苦しむ選手がいる。その姿に、自分を重ねる瞬間がある。「怪我等でラグビーが思うようにプレーできなくて苦しむ選手たちの希望になれるように、頑張りたいし、支えていきたい」。この2年間は、望んだ時間ではなかった。でも、その時間がもたらしたものは、確かな信念となって長谷の中に息づいていた。
12月13日に夢の島競技場で行われる日本製鉄釜石シーウェイブスとのシーズン開幕戦まで1ヶ月を切った。「グラウンド内でチームの勝利に貢献できることがすごく楽しみです。やるからにはもちろんレギュラーを取りに行きますし、開幕戦も狙いに行きます」。右目の周りがわずかに赤く擦りむけている。久しぶりに見せる試合直後のラグビー選手らしい顔。止まっていた時間が、静かに動き始めていた。長谷は、照れくさそうに笑った。

◇長谷銀次朗選手インタビュー
質問者:約1年11ヶ月ぶりの試合を終えて、今の気持ちを教えてください。
長谷選手:1年11ヶ月、すごく長い期間でした。いつ治るかも分からないし、いつ試合復帰できるかも分からない状態で過ごしていたんですけど、ここ1~2ヶ月でグラウンドに戻ってくることができました。今日の試合を終えて、やっと復帰できたなと実感しています。また、石黒さんをはじめとするメディカルスタッフ、仁木監督、コーチ、仲間、ファンの方々に励ましていただいて、支えていただきました。石黒さんは毎回病院にも付き添ってくれて、いつも長時間待つのですが、嫌な顔一つせずに一緒に待ってくれました。加えて他のメディカルスタッフの皆さんも毎回ケアしていただいて、皆さんのご協力がなければ復帰はできなかったと思います。本当に感謝しています。
質問者:どのような症状だったのでしょうか。
長谷選手:僕は、脳脊髄液漏出症と診断されました。頭部への衝突が繰り返されて脳の周りの液が脊髄から漏れて、頭痛やめまいが起きるという状態でした。2年前の開幕戦も多少頭痛が残った状態で試合に出たんですけど、その後もずっと頭痛が取れなくて。ちょっと良くなって動き出すとまた頭痛が出てという感じで。この2年で2回治療入院をして、やっと戻れた感じです。人が見てもわからない状態なので、自分を信じてやるしかなかったです。
質問者:スポーツをやっている方で同じ症状の方もいると思います。
長谷選手:今日の相手(ヤクルトレビンズ戸田)にも同じ症状の選手がいて、話もしました。自分の復帰が、その選手の希望になれればいいなと思っています。

質問者:今日は後半20分からピッチに入りました。いきなりスクラムを組んで、それが得点につながりましたね。
長谷選手:こだわってきたセットピースでとにかく「押しまくろう」という気持ちでしたね。自分が入って、チームの雰囲気を盛り上げられるようにしたいなと思って入りました。それがスクラムのペナルティになり、良かったです。
質問者:セットピースから長い間離れていて、そこに入っていくのってすごく大変だったと思います。
長谷選手:ここ1ヶ月は、スクラムもモールも練習に入っていたので、心配は全くなかったです。「やったるぞ」という気持ちで入りました。
質問者:その後中央付近で、ファーストタックルが決まりましたね。
長谷選手:僕の持ち味はディフェンスとブレイクダウンでハードワークすることなので、それが少しでも試合で出せたのが良かったです。
質問者:あれでスタンドがすごく沸きましたよ。
長谷選手:本当ですか? 嬉しいです(笑)。これまでのラグビー人生でも試合の時のファーストコンタクトはすごく大事にしている部分なので、それがうまくいって良かったです。ファーストコンタクトで「いける」と感じたので、残りの時間も良いモチベーションでプレーできたと思います。

質問者:試合に出ていない時もチームの映像は見ていましたか?
長谷選手:もちろんです。同じポジションの選手の動きを見たり、改善点や良かった点を仲間と話したりしていました。
質問者:プレーできないこの2年間はすごく苦しい時間だったかと思います。どうやって乗り越えてきたんですか?
長谷選手:根本にあるのは「ラグビーが好き」という思いが消えなかったことです。プレーできない苦しさだったり、グラウンドでチームに貢献できないもどかしさはありましたけど、メディカルスタッフ、仁木監督、コーチ、仲間が常に励ましの声をかけていただいて、「絶対に復帰する」という思いで、自分を信じてやってきました。支えていただいた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
質問者:他の選手に聞くと「(長谷選手の様子は以前と)変わらなかった」と言う声がありました。体調が悪い時もあったはずですが、実際はどうでしたか?
長谷選手:頭痛って他の人には見えない症状なんですよね。選手にそういう姿を見せるとチームの士気が下がると思って、人には見せないようにしていました。どんな時でもチーム・選手がポジティブになれるような声掛けをするように心がけていました。
質問者:今年の6月頃の面談で、長谷選手が仁木監督に「12月までに復帰できなかったら、違う形でチームに関わりたい」と伝えたと聞きました。
長谷選手:正直、面談の時は復帰できると思ってませんでした。だから「年内までに戻れなかったら、違う形でチームに携わらせてください」と伝えました。仁木さんからは「選手で帰ってこい。何年かかってもいいから」と言われて。仁木さんの愛だと思うんですけど、その時は正直、それを聞いても「もう戻れないだろう」という気持ちもありました。でも日が経つにつれて状態が良くなり、「絶対選手としてグラウンドに戻る」という気持ちが増していきました。今日戻れたことで。ホッとしてますし、その時の仁木さんの言葉がすごく嬉しかったです。「信頼してくれている」と強く思いました。
質問者:本当に今日、復帰となりました。
長谷選手:正直昨日も、「明日ラグビーの試合するのかな」って感じでした。けど今日朝起きたらめっちゃ晴れてたんで、「今日は自分の日だな」って思いました(笑)。緊張はなくて、楽しさの方が強かったです。でも本当に復帰できて良かったです。もうラグビーはできないと考えた時もあったので。長い時間でしたけど、挫けずにこれまでやってきて良かったなって、今日の試合を踏まえて、人の温かさを感じれた1日でした。

質問者:この2年間をどう捉えていますか?
長谷選手:自分としては立ち止まってたわけではなかったので、誰もができる経験ではないですし、この経験を今後の人生に必ず繋げたいと思っています。
質問者:以前と今の長谷選手を比べて、一番変わったと思うところはどこですか?
長谷選手:これまでは自分のプレーにただただこだわっていたんですけど、この経験を通して色々な選手とコミュニケーションを取るように意識しました。離脱する期間が長いってめちゃくちゃ苦しいですし、そういった選手の気持ちもわかるので、だからこそもっと周りの選手を見て、そういう選手が前向きになれるような言葉をかけたいです。入院している時もチームメイトが来てくれて、すごく嬉しかったですし、感謝しています。
質問者:人徳ですよ。
長谷選手:本当にありがたいです。感謝の気持ちを忘れずにこれからも過ごしていきたいです。何事もそうだと思うんですけど、結局選択するのは自分自身なんで、自分を信じることが大事だなって、この経験を通して実感しました。

質問者:SNSの発信も頑張っていましたね。
長谷選手:ラグビーができなかったので、ブルーシャークスの皆の良さを知ってほしくて発信しました。これからSNSはちょっと休憩するかもしれないですけど、グラウンドでチームに貢献したいです。それがすごく楽しみです。
質問者:今年の目標のスペシャリスト(SP)に「ジャッカル」と書いてました。
長谷選手:僕の得意なプレーはジャッカルです。今ではスティールという名前に変わってしまいましたけど。ディフェンスでハードワークするのもそうですけど、それが僕の持ち味なので、試合で見てもらいたいです。
質問者:シーズン開幕まで1ヶ月です。レギュラーを取りに行きますか?
長谷選手:もちろんです。やるからには取りに行きますし、開幕戦も狙いに行きます。
質問者:最後に今シーズンの目標を教えてください。
長谷選手:チームの目標を達成するために自分のできることを精一杯やることです。そして、レギュラーとして試合で活躍することです。例年より皆の意識も高く、今年のチームの雰囲気も実力もディビジョン1に行けるチームだと思います。一生懸命ハードワークしてグラウンドでチームの勝利に貢献したいと思います。

◇臼井礼二朗選手、山田雅也選手対談(長谷銀次朗選手の同期2人)
質問者:同期の皆さんが特に長谷選手の復帰までを支えてきたと伺いました。
臼井選手:そうですね。入院している時にお見舞いに行ったり、同期でご飯に行ったりしてました。
山田選手:僕は、飲みに行った時の印象が強いです。銀(次朗)は離脱をしてからお酒を飲まないようになったんです。飲み会には来るんですよ。来て、ノンアルで飲んで、ちゃんと話して帰る。定期的に同期会をやってて。リハビリ中って、グラウンドに出る選手・出ない選手で分かれちゃうんで、話す機会も減るんですよね。ロッカーでも話すんですけど、深い話は外に飲みに行って話すことが多かったです。それが僕は印象深いですね。

質問者:この2年間、長谷選手を見ていてどう感じましたか?
臼井選手:銀はあんまり自分の弱いところを見せないですね。そういう話になっても、「まあでも復帰まで頑張るわ」ってずっと。弱音は吐かないですね、あいつは。同期会でも8割がバカ話、2割がラグビーの話みたいな感じでした。
質問者:定期的にやってたんですか?
臼井選手:やってましたね。全員じゃなくても、3人とか2人とかでも。今日も夜行きますよ。今日は8割ラグビーの話ですね。
山田選手:復帰おめでとうって話をしますね。
質問者:お見舞いは同期みんなで行ったんですか?
臼井選手:えっと……誰と行ったっけ?
山田選手:その時、俺は行けなかったんだよね。
臼井選手:自分は松土さんと行きました。入院してる時に行ったんですけど、その時はさすがにちょっと元気がなかったですね。絶対読まんやろっていう小説みたいな本と、ワンピースのその時出てた最新巻を持って行きました。小説はコンビニに売ってたんで(笑)。
質問者:長谷選手はワンピースが好きなんですね。
臼井選手:いや、読んでないです。読んでないんですけど、最新刊持って行きました(笑)。暗くなってるだろうなと思ってボケで。読んでないと思います。
質問者:優しいですね。考えた末の選択だったんですか?
臼井選手:そうですね。堅い雰囲気のものを持って行って「大丈夫か?」みたいな空気にしたくなかったので、小ボケを入れました。
質問者:それで興味持って一巻から読み始めるかもしれないですから。
臼井選手:そうです、それも狙ってたんですけどね。たぶんまだ封も開いてないですね。

質問者:長谷選手はどういう方ですか?
臼井選手:銀は自分のためというより、周りのために動ける人なんですよ。自分がどうこうより、周りのことを常に考えてるタイプ。リハビリ中や試合に出られない時も、ファンの人にいろいろ声をかけてもらって「めっちゃ応援してくれてるわ。これ頑張らなあかんやろ」って。ずっと言ってましたね。
山田:あいつは本当にめちゃめちゃいいやつなんですよ。